イカメシ

陰毛が生え揃ったのはいつ頃だろうか。すっかり忘れてしまった。
生え始めは覚えているのに、次の記憶では、もう、モジャモジャになっている。

確か小学6年生か中学1年生のときだ。2、3本の長い毛が急に「アソコ」の根本辺りに伸びてきた。
とても恥ずかしくて誰にも相談出来なかった。現象としては知っていても、それが自分の身に降りかかってくるとなれば話は別だ。しばらくの間、股間の辺りがむず痒いような、そんな気分だった。1本くらい、抜いてしまったかもしれない。

我が家では盆と正月に祖母の家へと里帰りする習わしがあった。その際、従兄弟とも遊ぶ。当時は中々仲が良かったので、従兄弟とも一緒に風呂に入っていた。しかし、陰毛が生えてからというもの、それも断るようになってしまった。従兄弟は寂しそうにしていたし、あまり理解していないふうにも見えた。もちろん、「大人達」は皆そういったことに理解があるので、叔父も叔母も寂しそうな従兄弟を諭すのに一苦労買ってくれた。

しかし、記憶はそこで飛んでいる。気が付いたらもう、陰毛が生え揃っているのだ。寂しい限り。既にモジャモジャになってしまったので、あの頃の記憶を取り戻す手段は、ない。

家庭教師のアルバイトをした。生徒の弟は1歳で、まだ歩き始めたばかり。これがまた可愛い。整った顔立ちに加えて、愛嬌もたっぷりなため、見ていて自然と笑みがこぼれてしまう。
間食として出されたイカ飯を頬張っていると、弟君が下半身を丸出しにして部屋に入ってきた。茶目っ気たっぷりな笑顔を振りまいて、あられもない姿をさらけ出している。可愛過ぎる。可愛さの暴力だ。可愛いは正義だから、正義の暴力だ。可愛さの国連軍である。あっという間にやられてしまった。お母さんはお母さんで弟君をたしなめながら、「小ちゃいイカメシ出ちゃったねー」などと言っていた。ここは治外法権だ。小ちゃいイカメシの持ち主は手を振りながら去っていった。

そういえば、自分のイカメシは自分のイカメシで、それはそれでいつの間にか大きくなっていた。毎日見ているものの変化には気づきにくい、とはよく言うが、確かに、イカメシの類ほど毎日拝むものはない。大きいイカメシ、とは恐れ多くも言い出せないものの、彼の小ちゃいイカメシよりは、よっぽど大きく成長している。こちらに関しても、成長中のイカメシの記憶がとんとない。寂しいものだ。

人間は食って、それで成長していく。身長1mもない少年達が、20年もしたら倍にも成長するんだから、人体っていうのは不思議だ。弟君も、これから沢山の食物を摂取して大きくなっていくんだろう。いや反対かな。毎日食物を摂取して、それを粘土みたいにこねてくっつけたら、もっと大きなモノになるかもしれない。それが20年分も蓄積するんだから、実際は、きっと沢山の物を吐き出して、運動するためのエネルギーとして費やして、残った絞りカスたちがC−C、C−O、C−N、知りうる限りの結合、縮合を繰り返して、糊付けして、ようやく一人前の成人男性が出来上がる。成長途中の自分を構成していた元素なんて、とうの昔に脱ぎ捨ててしまったのかもしれない。